魚は痛みを感じるか? 紀伊國屋書店

逆になんで魚は痛みを感じないなんて思うのか。

 

痛覚は生きるためには絶対不可欠な感覚です。

先天性無痛症という疾患がありますが、怪我を気にしない、病気に気づけないというのは生きていく上でかなりのリスク。

医療の発達した現代社会ならともかく、ほとんどの時代では長生きできなかったはずです。

なので、当たり前のように魚にも痛覚はあるものだと思ってました。

 

ただ、これはあくまで人間の話。

 

痛みを感じるには思ったより複雑な神経系のプロセスを経るようです。

魚に触覚刺激(本の中の言葉では侵害受容)があるのは間違いないとしても、それを痛みと認識できるほど神経系が発達しているのかどうか。

魚は痛みを感じない、という説がけっこう浸透しているようなのは、そうでは無いから、つまり魚の神経系が単純だから、というのが根拠となっているようです。

確かに、魚食性の魚は捕食する魚の鋭いヒレなんか御構いなしだけど、痛覚あったら毎度の食事は苦痛かもしれないな、とか考えてしまいます。

 

しかし、この本の結論としては「魚は痛みを感じる」です。

それが人間が感じているような刺激と全く同じものかどうかは別にして、ある種の苦痛は感じているとのこと。

 

このことを釣り人はあまり知りたくなかったのではないか、と本文中に書かれています。

魚が痛みを感じないのであれば釣り人は罪悪感を感じずに済みますから。

でもどうやらそうでは無いらしい。

 

がっちりフックアップした鱒はどのような苦痛を感じているのか?

当然のごとく、そこからは倫理的なテーマに繋がっていきます。

養殖やアクアリウムも取り上げられてますが、魚の痛みといって誰もがまず思い浮かべるのは釣り針ですよね。

 

フライの世界では絶対正義のキャッチアンドリリース。

これは果たして魚にとって正しいことなのか、という疑問が挙げられています。

多くの文化圏では釣った魚は食べるものです。

そうした地域ではキャッチアンドリリースは、命を弄ぶ、食べ物で遊ぶことに等しい。

日本でさえ釣りをしない人たちにはあまり理解してもらえない行為です。

驚いたことに、ドイツやスイスでも否との考えで、キャッチアンドリリースは原則禁止らしいということをこの本で知りました。

 

ではキャッチアンドリリースをせず釣り場を維持しようと思ったらどうするか。

過剰放流に頼るしかない。

日本のほとんどの渓のように。

あるいはドイツのような非常に厳格かつ限定されたライセンス制を導入するという手もありますが、多くの国では現実的では無いでしょう。

 

「何度か捕獲される魚が少数ながら出てくるという悪影響を容認するのと、各個体を一度だけ捕獲するが、そのためによりたくさんの魚を捕獲する結果になるのとでは、どちらが適切なのか?明らかにこの問題の解決にも、生命倫理の知見が必要とされており、それに従って私たちは、適切な情報に基づいた、倫理的に受け入れられる方法の提起に向けて歩んでいけるはずだ。」

 

現実的な日本の渓流について言えば、もっと複雑に絡み合った事情から簡単に解決できる問題ではないとは思います。

ただ、「魚のための福祉」という新しい概念が、今後、もっと普及してきたら状況も多少なりとも変わるのかもしれないな、なんて考えました。

 

釣り人がするべきことについても提言されています。

・キャッチアンドリリースするなら、ネットはクレモナではなくラバーを使う。

・フックはバーブレスにする。

・リリースしても生存が望めないようなら然るべき処置を取る。

フライマンならどこかで一度は聞いたことのある話だし、実践している人も多いと思います。

 

一言で言えば、魚になるべく苦痛を与えないよう丁寧に扱うこと。

たとえエゴと言われようが、その意識だけは忘れずにいたいですね。