カンツリの楽しみ

何ヶ月ぶりかでフライフィッシングに行ってきました。

 

コロナ禍でストレス溜まりまくりの子供たちに付き合って、週末はハゼ釣りやブルーギル釣りなんかには行ってましたが、自分の釣りは本当に久しぶり。

時期的にターゲットの選択肢が限られる中、ボウズは絶対に避けたかったので確実に釣れるところがいい。

というわけで、行き先は管理釣り場、リヴァースポット早戸へ。

 

まあそれなりに釣れました。

じゃあそれなりに楽しかったかといえば決してそんなことはなく。

 

目の前にサカナがうじゃうじゃいると、釣れて当たり前って感覚になりませんか?

船長が魚がいるところに連れて行ってくれる乗合船でも同じような気持ちになりますが、

間違いなくソコにいるターゲットを釣れないと少しずつ焦ったりイライラしてくる。

1匹釣れた時の感動は薄く、強迫観念というか何かに追われるような感じ。

やっぱ自分にはあまり向いてないな、ということを再認識した釣行でした。

  

ただ、これはあくまで楽しみ方の違い、好みの問題だなとも。

 

1区画に一人か二人。水量は少なく、ポンドみたい状態。

平日だったにも関わらず、リヴァースポット早戸はまずまずの人出。

カンツリは、間違いなく現在の釣り人気の一角を担うジャンルとなっています。

それだけ人を惹きつける以上、多くの人たちは自分とは異なる楽しみを見出しているはず。

この日、近くでルアーマン含め、周りの人たちを見ていて思ったのは、管釣りファンは達成感を楽しんでいるのかもしれないな、ということ。

 

自分なりにその日のテーマを決める。

それが数であるか、サイズであるか、はたまた釣り方への拘りであるかは人其々。

目標を設定し、自分なりの仮説に基づいて試行錯誤を重ね、状況に応じてアクションを変える。

 

PDCA。

 

釣りの時ぐらい仕事から離れたい自分とは相容れないのも納得ですが、何かを達成することの喜びは理解できます。

ただプラッと来て、漫然とロッドを振っていては見出せない魅力があるんだろうと思いました。

 

釣りの楽しみは人によって千差万別。

  

なのにフライフィッシングの世界では、自分以外のやり方を認めない人が多過ぎる気がします。

トラウト至上主義、ドライ至上主義、伝統至上主義…

拘れば拘るほど自身の喜びが増すのは重々承知してますが、それ以外の釣りを否定するのはあまりに狭量。

ハードルが高いと思われがちなフライこそ、数少ない入門者のため、柔軟な考えのベテランが増えてくれたらいいな、と久々のフィールドでボーッとしながら考えてました。

  

釣りに行ったにも関わらずあんまりストレス解消できなかったせいか、最後は愚痴っぽくなってしまいました。

管釣りに向いてないのはよく分かったので、次はこの時期の海の恵、カマスに癒してもらおうと思います。